【写真】韮山反射炉・蛭が小島
韮山反射炉は幕末期の安政元年(一八五四)に、当時の伊豆代官・江川太郎左衛門により築造された大砲鋳造所の溶鉱炉である。
炉の内部をのぞくと、天井が耐火レンガのアーチ積みとなっている。この湾曲によって熱と炎を反射させ鉄を溶解したことから反射炉と呼ばれる。
その後、大砲鋳造は江戸の小石川に移り、この反射炉は明治維新を過ぎると荒廃の一途をたどった。そのため明治四十一年、陸軍省により保存修理が行われ、さらに二回の補強修理を経て現在に至っている。
その一回目の保存修理後の写真が明治末ごろのもので、当時はこの左側に鳴沢屋があるだけであった。また、右の写真は現在の反射炉で、上の写真とは少し左の方向から写したものです。

明治末期の反射炉

現在の反射炉。
永暦元年(1160年)、平時の乱に敗れた源義朝の嫡子頼朝は、十四歳の時に伊豆の地へ配流となった。
その地が蛭ケ小島である。
名の由来は、当時この地は狩野川の中州でヒル(かえる)が多かったことから名付けられたという。韮山駅より徒歩20分。
左の写真は昭和初期の蛭ケ小島のもの。一本の松の両わきに柵で囲まれた細長い碑と、低く丸い碑が建っている。
また周囲に家はなく、一面の水田である。そして右が現在の蛭ケ小島で、この史跡の東側、上の写真でいうと電柱のある辺りから撮ったものである。
かつてあった松はなく、代わりに雑木が茂っている。また、左側に見えるように新しく碑も建てられ、この碑の左奥には民俗資料館も建てられています。

昭和初期

現在
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